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別冊

ぼんのう

〜 最終回 〜
どこまでゆけるかな?

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振り返ると想定外の内容

 

先日、2021年の1年間を通して行ったマンスリー企画【月刊ぼんのう】の全行程を終えた。

思えば、これを書いているちょうど1年くらい前には、この企画をどういう形にしていこうかと言うのをアレコレと考えていた気もする。

そこから今まで、本当にあっという間だったのだが、振り返ってみると、始まったのはもう何年も前のことのような気がするから不思議なものである。

 

全部を終えての感想のようなものはブログ『短めでお願いします』の2021年12月27日付の記事に書いたので、そちらを読んでいただければと思うが、そこでも書いたように、自分のこれまで書いた曲を網羅すると言うつもりで始めたこの企画は、最終的にはレギュラーオープニングアクトとして全12回、毎回新曲を書いて来て、慣れてはいなかったステージ経験を積んで来たEriちゃんの成長していく姿を見てもらうドキュメントとしての役割を果たして終わったような気がしている。

 

思わぬ副産物とも言えるのだが、自分の企画がそのような自分の事だけではないものになった事を非常に喜ばしく思っているし、それも含めて「やって良かったな」と思えるものになった。

 

何しろ、この企画のテーマを思いついた時には、自分が面白がってる以外に何の価値があるのかと思っていたのである。

厳密に言えば、面白がっているのは「企画を思いつくのが好きな辻」の方で、「演者としてステージに上がる辻」にとっては最初からいろんな面でキツイ企画だなという不安もありながらのものだったので、「誰にもメリットないな(という事をやるのが企画の辻は面白がるのである)」と思っていたのだから、こういう名目のもとで自分以外の誰かの役にたつ結果となったのが嬉しいのです。

 

このように、最初のちょっとしたひらめきだけで見切り発車した、「やってみたら自分がどうなるか見てみよう」と思って始めた企画だけに、やっている過程で漠然と想定していた内容とは随分と変わったような気がするところはいくらでもある。

 

それを記録しておこうと思うのだが、とにかく、最初に懸念していた「もしかしたら、過去を振り返って自己満足的なノスタルジーを味わうだけのものになったら嫌だな」という事が、自分のなかで微塵も起こらなかった事に安堵している。

そういうのは好みじゃないのである。

 

もちろん、準備のために色々と昔のものを掘り起こしたり、ライブで喋っている時に次々と余計な記憶まで蘇ってしまってトークが長くなったりはしたのだが、そこに個人的な懐かしさはなかった。

例えば、本棚を整理していてもう何年も前に読んだきり、あらすじくらいしか覚えてなかった小説があるのに気が付いて、新鮮な気持ちで読み返して、若い頃には気づかなかった事を見つけたり感じたり、そんな事に近かったかもしれない。

要するに「今現在のもの」として楽しめたのである。

 

 

 

テーマを語り、歌う

 

そんな「想定外」の顕著な例が、毎回40数年にわたって書いて来た曲をごちゃ混ぜにして紹介する時に、一つのテーマに沿って選曲し、その観点から曲を作った時のエピソードを語るという形式になった事だ。

 

開始当初は、ただ単純にできるだけ毎回、各年代から選曲して1本のライブとして構成できる流れにしようと思っていたのだが、1月号をやり終えてすぐ、このまま1年やるのは厳しいかもなと思ったのがまずあった。

 

なにしろ企画した当初は、この【別冊ぼんのう】の第一回にも書いたように、「誰かに聴いてもらいたい」と思いながらも叶わなかった少年の願望を、ある種若い頃の自分への恩返しとして実現させるために思いついたものだったので、それができれば良かったのである。

 

だが、現実的にこの年齢になった演者である自分が、ただその願望をストレートに12回も出し続けるのはキツイなと。

子供の願望をなんとか成立する形にフォローするのも大人の役目である(笑)。

 

そこで毎回「ラブソング」とか「言葉の響きを意識した曲たち」とか、そういうざっくりしたテーマを設けて選曲し、当時のエピソードを絡めながら曲作りに関して紹介するというスタイルになった(弊害があったとすれば、先述したように、話しているうちに色々な事を思い出したりして、トークが長くなった事だ)。

 

特に、Eriちゃんもいた事だし、時折若手のシンガーソングライターが見に来たりなんかすると、胡散臭い講師の「作詞作曲講座」みたいに語ることとなった(笑)。

いたって自己流のものだから、そのまま参考にされても困るのだが、人から習う事ではなくて自分で探して解釈して、自分で発見して身につけていく面白さを感じてくれていたらありがたいなと思う。

 

そういえば、そうした語りの余波で、普段は紹介することのない(したいと思えない)「この曲は自分がどんな時に何があって、そこで何を感じて歌にしたか」といった事も随分と喋る事になった。もうほとんどMCはそういう曲作りに関する事が中心になったのだが、それに付随して「歌を書いて人前で歌う」という事に関しての、大げさに言えば自分の矜持みたいなものも語らせてもらった。こういうのは初めての事で、喋り出すとどこまで晒していいものか分からず、結構ぶっちゃけたような気もする。

まぁ、こういう事はおそらく二度とないだろう。

 

こうした一連の作業は、改めて自分が「何を考え、感じ、どのようにやって来たのか」と言う事を新たに発見していく事にもなった。

 

この【月刊ぼんのう】でもその毎月のテーマに沿って書く形にしたのだが、文章化するにあたってこれまで無意識にやっていたことも改めて確認しながら整理していったので、それはそれで興味深い作業であった。

 

 

 

企画者と作者と演者

 

企画者、作者、演者。

自分の中にはかねてから、この三人が同居していると感じる事がある。

まぁ、普段は曲を作っている作者とそれをステージで披露する演者はそんなにかけ離れた存在ではない。常に相談し合いながら、曲を書き歌っている。

ただ、こうして今現在はまったく歌う事がなくなった曲を取り上げる時には、作者としてのエゴと演者としての今現在の自分での小さな葛藤もあった。

 

今歌うにはキーが高すぎるとか、恥かしすぎる内容だとか、リズムの捉え方が現在の自分にはない曲もある。なんせそれは「若者が歌う歌」として作られているし、あるいは「バンド演奏を前提として」書かれた曲もある。

それらを今現在の自分が弾き語りで歌うのは結構厳しいのだ。演者は演者で、昔の曲をやるにしてもちゃんと自分の気持ちを乗せて歌いたい。もともとそういう心算でこの企画に参加しているのである。当然「コレはちょっとキツイな」という曲も多々ある。

 

しかし、思い入れを持っている作者としての自分は「どうしてもこの曲を披露したいんだ。若い頃の願いを叶えるんじゃなかったのか?」という言い分がある。

 

正直、ここまで作者と演者の意見が分かれたのは初めてではないだろうか?

今までは、他の人への提供曲以外は、自分でも作者と演者は同じ人格だと思っていたので、意外な発見だった。

 

むしろこの企画で作者と仲が良かったのは企画者である。

企画者の自分は結構、演者を「素材」として扱うところがあり、「おっさんのアンタが世間知らずの15歳の頃に世間に対して思ってた事を歌うのが面白いじゃん」とか「昔はこの早口な曲を飛び跳ねて歌ってたんだろ? それを息を切らしながら歌えよ」みたいな事を言いたがる。

 

だから、今回に関しては割と、作者の希望を企画者が面白がった部分は大きいと思う。

 

もともとこの【月刊ぼんのう】は企画者である自分が、演者の自分に持ちかけて来た話ではあるのだ。

さっきも書いたように、この企画者は「演者の辻に何をやらせたら自分が面白いか?」という事を考えている人だ。

演者に負荷を与えるのが好きだし、場合によっては演者の辻を企画から外すこともある。

 

例えば、これまでだと、誰か札幌ではあまり知られていない人が札幌でライブをやる時に、ブッキングや会場選びなどを相談された時など、ひとつのライブの形として、その対象者にとってもお客様にとっても何か良いものが残せる形を考えて、辻の出演は見合わせて、別のアーティストをコーディネートしたりといった具合だ。

 

そういう時に、同時に「なんでオレは呼んでくれないんだ」と悔しがる演者の辻がいたりする(笑)。

 

それで今回は、「今、お前がこうやってるのも、子供の頃の憧れや願望からだろう? その子供の願望を叶えてやれよ」みたいな企画者のささやきに演者は説得され、同意したのであるが、歌詞やコードをチェックして覚え直し、スピードや音程的に現在で厳しいものも歌い、さらには今では恥ずかしい内容や、技術的に稚拙な歌詞を気持ちを込めて人前で歌わなければならないのだ。

 

そんな演者を大笑いで企画者の自分が見ている(笑)。

 

もちろん、演者が「いや、ちょっとこれはどうしても歌えない」というものがあって、頼み込んで別の曲にしたりもあったのだが、毎回その月のステージが終わると、昔の歌詞やテープ、その他の資料的なものを引っ張り出しながら、一人で「三者会議」を行なっていたのです。

 

こうした作業をしながら、「企画者、作者、演者」というのは「脳、心、体」に近いかもしれないなと言う感触があった。だから、この三者が今後足並みをそろえ、バランスよく機能すればもっと面白いものができるのかもしれないなという予感が芽生えている(主に企画者が 笑)。

 

 

 

相変わらずだ

 

このように、自分で改めて自分のことを確認する事ができたのが、【月刊ぼんのう】の自分なりの成果といえるかもしれない。そしてそれは、すべて「これからやる事」に役立っていくのだろうとは思う。

 

面白かったのは、自分では随分と曲調や歌詞の書き方などが変わって来たと思うのだが、聴いてくれた方々の反応だと、そんなに変わっていないらしい(笑)。

 

確かに、昔からシンプルな構造のものを書いて来たし、それは今でも変わらない。それに視点や言葉の使い方が変わったとしても、そこで「何を伝えたいのか?」という部分ではそんなに変わっていないのかもしれない。

悪く言えば「成長がない」。しかし良く言えば「一貫している」のであろう。

 

できればその「気持ち」を受け取ってくれているから、そんなに変わってないと感じてもらえてるのだといいのだけれど。

 

手前味噌ではあるが、こうやって子供の頃から今までの曲を見返してみると、現在歌う気になるかどうかは別として、その都度、思ってたよりも結構いい曲を書いて来たんだなと思う。そして、それ以上に多くの「そうでもない曲」を書いて来たなと。

 

その全てが自分には愛おしい。

 

そういう事を感じる企画になると言うのもまた想定外の事であった。

 

この企画を終えてどうなるとか、これをやったから次の段階としてこうだみたいな事は考えない事にしている。おそらく、コレをやり終えたことが次の何かには影響するんだろうが、それはあらかじめ企む事ではなくて、また長い時間が経って振り返る時に、「あの企画があったからこうなったんだな」っていうのが発見できればいいんじゃないかと思う。

 

だからまたこれまでと同じように、次は何ができるだろうとか、これやったらどうなるだろう?とかって事をやっていけばいいや。

 

ある日、「自分で曲を作って歌いたい」と思って夢中になった少年のおかげでこんな人生を送れている。その恩返しとして発想した【月刊ぼんのう】。やり終えて、その少年には「おじさんは相変わらずだったよ」と笑うしかないのでございます。

 

さぁ、次だ!

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