別冊
ぼんのう
〜 第十一回 〜
物語を背景に
小説とか映画とか
音楽の他に自分で作ってみたいもの、関わってみたいものに、小説と映画がある。
もちろん、どちらも観客として読者として子供の頃から親しんで来ているが、作るのも好きで、非常に小規模なものであれば制作側として、多少の経験はしてきた。
もともと文章を書くのは好きではあるので、ブログやエッセイやこうした文章を書いているわけだが、その他にも、散文詩や小説(のようなもの)のいわゆる「創作文」を書くのも好きである。
以前、まだSNSというものが生まれる少し前の時期に、ネット上でちょっとした物語を公開していたこともあるし、いくつかの小さな賞に応募したりもした。
どちらも、ある程度の評価はいただいたが、「ある程度」で止まっており、広く紹介されるには至っていないけれど。
映画に関しては、学生の頃に仲の良い友人がいわゆる「自主制作映画」に関わっており、その繋がりで数本の自主映画に関わって、役者から照明持ち、脚本の手伝いなどもやったり、多少編集や演出に口を出したりもしていた。
最初は学生時代の、音楽でいうところのバンド結成のようなノリで製作したり友人らが協力していたが、音楽活動同様、どんどん本格化していくうちに参加者も淘汰されていく流れとなり、16mm、32mmと本格的になっていく過程で、僕自身は現場からは遠ざかった。
理由は、そこまで映画製作に自分の何かを託していなかったからだろう。それよりも音楽をやりたかったし、その傍らで映画も手伝うなんていう次元の話ではなくなっていったのだ。それでも、若い頃はワンシーンだけ出るとか、エキストラとしてとか、準備稿に意見を求められたりとかはあったけれど。
小説にしろ、映画にしろ、関わることでそれが自分の曲作りにフィードバックされるような収穫は大きかったなと思うし、今だに映画にしてみたいようなアイディアとか、小説のプロットなどは考えてたりする。
そして、その映画や小説ようにイメージしたものから曲を書いたりすることもある。
物語を思い描く
そもそも、僕は「想像する」ということが好きなタチだった。それは幼少の頃から。
それは子供の頃には誰しもが経験したことだと思うが、例えば「仮面ライダー」や「ウルトラマン」を観て、自分なりに「こういうストーリーで」とかあるいは、既存のヒーローに匹敵するような自分の想像上のヒーローや設定を考えて楽しむというところから始まっているように思う。
それが、小学校の3年生くらいからSFやファンタジー小説を読むようになり、それに刺激を受けて、似たような物語を夢想するようになる。
映画としてシーンを思い描くこともあったし、想像した物語を中学生の頃にはいくつか文章化してみたこともあった。
それが曲を書き始めると、以前から書いてたように、見るもの聞くものをなんでも歌にできないかと考えていた中に、この「自分で想像した物語」も題材として選ぶ場合もあったのだ。大体は、挿入歌とか主題歌的なイメージということになるだろうか。
これをやることの効能として一つは、自分の歌として書くのには恥ずかしいというかテレが入るような設定や主人公の気持ちのようなものを、自分の中では「だって、これは架空のお話のことだもん」という言い訳を自分に対して行うことで、実物大の自分ではないものも歌世界の中で表すことができたというのがある。
要するに、見聞きしたものや現実に沿って考えた意見を入れ込むだけというよりも、もう少し描く事柄の幅が広がるのである。
もう一つは、少年時代には映画やドラマを作るなんていうことはできなかったし、文章で原稿用紙に何十枚もの言葉を書き入れて物語を破綻なく書き進めていくよりは、3分程度の歌に、その書きたかったことの気分をブチ込んでしまった方が、話が早いというのもあったんだと思う。
まぁ、小説も曲も作ることを続けているうちに、曲にしなければ書けないこと、小説じゃなければ表せないことというのがあるんだと経験上気がついてくるのだが。
とにかく、時たまそういう曲を書くことで、他の例えば自分が失恋した時のことを歌にしようとか、そうした時に「経験や発想を物語として構成して曲にする」という事を身につけていったように思うし、映画の中にワンカット風景を差し込むというような発想で、情景描写を入れたりという事をするようになったんだと思うし、以前に書いた「胸の内にあるものを表現の形にするために、想像も現実もごちゃ混ぜにする」という方法も、思えばこの作り方に端を発しているのかもしれない。
小説ではないが、散文詩も同じような感じで、一旦詩として書き上げたものを、今度はメロディやリズムや曲の構成に当てはまるようにしてみたりということもやっている。
これも歳を重ねるうちにやりかたにバリエーションが増えており、特に誰かに提供する曲の場合などは、その提供する相手の話を聞いたり、あるいはオファーされたイメージを元に、ある種のストーリーやワンシーンを大雑把に作ってから曲を書くというような作業をしているようだ。
いくつかの試み
さて、そのバリエーションについていくつか紹介しておきます。
最初のうちは単にストーリーを思い描いて書くという作業だったのだが、映画作りに関わった学生時代には、その映画に出てくるシーンを自分の中で再編集して、そこに映画を作っている友人たちへのリスペクトも込めて曲を書いてみたりしている。
他のものが作ったストーリーに出てくるシーンを(作品を見ていない人にはわからないのだが)、自分の中のイメージに取り込んで再構築して、虚構のシーンと自分の映画制作者たちに向けた敬意や共感といった気持ちを掛け合わせて、一つの「思いの空気」を表してみようという試みだった。
他に、日頃ブログなどによく登場する、ボーカルスクールVoiceWorksSapporoの谷藤代表の企画に呼ばれた際に、彼の提案から、ワンステージでMCの代わりに書き下ろした物語を読み、その合間にそのストーリーに即した曲を演奏するという試みを行った。
そもそも、演奏時間を差し引いてワンステージの時間に収まるようにという時間制約がある中で物語を書いたのも初めてのことであったし、さらにそれに符合する曲ということで、5曲くらいの新曲を書くということもあって、完成したのはギリギリではあったが、刺激的な作業であった。
もうひとつ、一番ややこしい作り方をしたのが、まずストーリーの断片をある程度思いついたまま文章化していない(そこまでイメージがまとまっていない)物語があって、それをまずイメージの要素を散文詩で書き上げて、そこから曲にするために歌詞を書いている時に、イメージを補強するのに、鑑賞した映画のシーンから受けたイメージを付け加えるという事をやったこともある。
もう一つ、映画の絡みで言えば、その学生時代の自主制作映画で知り合った中に、本格化して現在は本職になっているのがいて、彼がローカルTVでの放映用に製作した短編映画の挿入曲を担当するというのがあった。
準備稿の段階から意見を求められて、アイディアを出してりしていた作品なのだが、完成した脚本と、撮影を終えたラッシュ、曲が入るシーンなどを見た上で、書き上げた。
楽曲自体の評価はさておき、収録時に監督とのすり合わせが万全ではなく、ちょっとドタバタした面があった。もともと学生時代からの知り合いだしお互いに詳しくは伝えなくても理解しているだろうという認識で、話も盛り上がったはずなのに、いざ収録の時に、そのへんの食い違いが露呈した形となり、それはもちろん監督の意図に沿わない限りはどんな言い分があっても、こちらの落ち度ということになるので、若干の心残りがあるものになってしまった。
自分で思うように曲を書き、自分がイニシアティブをとって演奏したり製作するならともかく、共同作業の中での認識のすり合わせがいかに大切かという教訓にもなったし、ある意味トラウマにもなったかもしれない。
この影響で、何かを企画して誰かと共同作業する時に、認識事項の説明や内容が膨大となってしまうという、逆効果な状況が生まれたりすることもある(笑)。
異なる表現の世界から受けた刺激
最後になるが、小説や映画を作るというのは、当然ながら曲を書いて歌うというものとは全く違う部分がある。
共通項ももちろんあって、だからこそ、そこをのりしろにして小説や映画から得たものを曲作りに活かせるわけだが、小説に関しては一人でもぞもぞと行う作業なので自分の中で次第に気がついていく違いはあれど、映画のように「目から鱗」のような劇的な気づきというのは今の所経験していない。
学生時代、映画製作を通して知り合った方々には、本当に大きな刺激をいくつもいただいた。
当時、音楽にしろ映画にしろ、以前からやりたかったことの「真似事程度」がようやく自分たちである程度自由にできるようになったという部分では変わりはなかったと思う。
どちらもやれること自体が楽しかったという段階だ。
でも、バンドや音楽サークルでの活動と、映画製作の手伝いを並行してやっていて、関わっている人間の大きな違いというのに気がついた。
それは簡単にいうと「映画というのは最終的に鑑賞する事を前提としている」というところから生まれる意識の違いなんではないかと、勝手に分析している。
音楽というのは、例えば部屋でギターを弾いているだけでも、バンドでスタジオやステージで演奏するにしても、とにかくやっていれば「音楽やってます」と言えるし、自分は音楽をやっているんだと思い込める。出来がどうであれ。
音源作品を作るというのでなければ、乱暴な言い方をすると、ろくに楽器演奏ができないままでバンドを組んでステージ演奏しても「やっている」ことになるし、実際に自分がその時その場で演奏しているという気持ちの高揚があるので、自己満足的に「ライブやったぜ」と思える部分がある。もちろん、その入り口のイージーさが音楽の良いところでもある。
しかし、映画というのは、製作段階で自己満足的に盛り上がっても、最終的にはそれを作業していない状況でスクリーンに投影して鑑賞するものであって、その時に、制作者も観客も同じ状況となる。撮影している間がどんなに楽しくて熱心にやっていたとしても、やりたかったことが不特定多数に認められるような状態、自分で満足を得られる状態になったかどうかは、その興奮の最中に確認するものではなく、じっとしてスクリーンを眺めて確かめるものだ。制作中にも撮影したシーンを見直したり、脚本段階でのチェックや準備段階でも客観的になる瞬間はいくつもある。
ぞの前提があるから、撮影時(音楽で言えば、演奏中)の態度も意識も自ずと違ってくる。
もちろん、映画だってそんなに自制を効かせることに成功するばかりではないし、実際、メジャーで製作された作品だって、製作者の熱量が空回りしてるなと感じる作品だってある(なんというか、「あ、これ本人たち作ってる時に冷静じゃなかったな」と思えるシーンや作品があるのです)。
それでも、学生時代の「俺たちはバンドやってるんだぜ」という人たちと、「映画作品を作りたい」という人たちにはなにか意識の違いを感じずにはいられなかった。
映画を作りたい人たちというのは、「作って楽しみたい」だけではなくて「人が見て認められるものを作りたい」「あとから鑑賞して面白い作品にしたい」というところまで自覚した上での取り組みだったんではないかなと思う。
結局、音楽活動だって「誰かに評価されるような曲や演奏」というものを求めないと長くは続けられないし、やり続けてる人たちっていうのは、最初は自己満足でも次第に、そういう意識が芽生えてくるものだと思うのだが、その辺を結構早いうちに気づかせてくれたのが映画作りに参加しての一番の収穫だったかもしれない。
当時、自分のバンドのライブに、映画の方の知り合いが来てくれてたりしたが、「この人たちに相手にされなくなるような姿勢ではいかんのだ」という心算りでいれた事は、結構今でも役立っていると思う。
もちろん、音楽には例えば曲を書いているときは自分に酔いしれる部分や、ライブであればある程度の興奮状態でいることは大事だと思うが、いざ曲を書き上げてとかライブが終わった時に、果たして自己満足に終わっていないか? と自問しながらまた次へと向かうのは必要だ。
それをやるのに未だ一苦労なんだけれど(笑)